カフェをこよなく愛する静かな男の駄文

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かれんしゃんの事をいつからしゅきなのだろうか。

今日は、かれんしゃんがお給仕始めて1年8ヶ月記念です。

ということで、久しぶりにかれんしゃんについてのブログを書こうと思います。

 

まず今日さくや殿に、以下の様な疑問を投げかけられた。

 

「まりもさんは、いつからかれんさんの事が好きなんですか?」

 

と、、、

 

いつからだろうか、前世の記憶を辿るのであれば、2人の関係はフランス革命まで遡る。

 

そう、かれんしゃんは、ギロチンで処刑された王女マリーアントワネットであった。

そして、私は卑しい召使い。

 

何故、彼女は処刑されなければならなかったのか。

それは、長くなるので別の機会に語ろうではないか。

 

しかし、時代を超えて再びこうして巡り合えたのだ。

 

かれんしゃんの首が長く美しいのは、ギロチン処刑の名残なのだろうか。

 

話を戻そう。

 

今世で言えば、恐らく去年の6月頃であろう。

Twitterを遡ると分かるが、私はこの頃、スマホのパスワードをかれんしゃんの誕生日に設定していることが伺える。

 

しかし、運命の人であると確信したのは、7月1日であろう。

 

かれんしゃんからのこのリプ返に私は、落ちたのかもしれない。

 

 

「この美しい瞳は、王女、、、、!!」と想い出したとか。

 

そもそも、メイド喫茶においてシャイおじさんがどのようにメイドさんと仲良くなるのであろうか。

 

まず、このことについて考えるのであれば、発想の転換が必要であろう。

 

我々、お客さんにとってはメイド喫茶であるが、メイドさん側から見るとメイド喫茶は、おじさん客で溢れる「おじさん喫茶」であるのだ。

 

メイドさんの使命は、そんなおじさん達をもてなす事である。

 

おじさんと会話するにはどうすれば、いいのか。

そのヒントは猫カフェにあった。

 

メイドさんは猫に餌をあげるかの如く、そろりそろりとオジサンに近づき、

オジサンがどんな会話に食い付くのか探るのである。

 

そんな探り合い、私は結構好きである。

 

そして、かれんしゃんの事を好きになり始めたが、好きという気持ちは楽しいことばかりではない。

 

中々会えなくて苦しかったり、かれんしゃんにさよなら言うのが辛いなんて事もある。

いつか、会えなくなる日が来るのだろうか。

 

しかし、この心の苦しさ!!

 

「さよならを言うのが辛い何かがあるなんて、僕は何て幸せなんだろう。」

 

結論、ずっとしゅき!!