ツイッターを見てたら、絵本『100万回生きたねこ』が流れてきたので『愛』について考えてみました。
【絵本のあらすじ】
「100万回生きたねこ」は、100万回死んで100万回生きた猫が主人公の物語です。主人公の猫は様々な飼い主に飼われましたが、満足することなく、また別の人生を繰り返します。最後は、美しい白い猫と出会い、初めて愛情を覚え、その死を悲しみ、初めて泣き、生き返るのを止めます。
という有名な絵本なのですが、これって、メイド喫茶おじさんに対するメタファー(比喩)なのではないかと思ったのです。
メイド喫茶おじさんも、推しメイドさんの卒業で死んだ後、再び新たな推しメイドさんを見つけて蘇りますから。
それにメイド喫茶おじさんって、最初ムスッとしてるけど仲良くなると、やたら懐いてしつこいとことか猫っぽいなと思うのです。
何度も生き返ってしまう僕達は、まだ愛をしれてないのです、、、
そんな私が、初めて『愛』について考えたのは小5の時でした。
当時、まだ齢10歳であった、まりも少年は、
『人を愛するとは』
という事について、みんなで討論する【道徳】の授業を受けておりました。
担任の50代の女性教師が『人を愛すること』について、皆に意見を求めると、最初に真面目系の女子生徒が手を挙げ意見を述べました。
『私達は、小学生だから人を愛したり恋人を作ったりするのをまだ早いと思います!』
それに対して女教師が
『じゃあこの意見に賛成とか反対がある人は?』
と問うと、皆が
『そう思うー!』
と声をそろえました。
だが、まりも少年は思ったのです。
この意見は間違ってはいないが正解ではないと、、、
そもそも道徳の授業に正解など、無いのであるが、この場合の正解は50代女教師好みの解答を用意することだろう。
まりも少年はそう考えました。
そしてクラス中が『小学生に愛はまだ早い』というしょうもない考えで、まとまろうとしてる中、私は右手をスッと高く真っ直ぐあげ、意見を述べました。
『たしかに小学生が恋人を作るのはまだ早い。それはそうだと思いますが、ここで言う愛というのは、何も恋人に対するものだけではないと思います。それは、自分の親兄弟、家族を愛する気持ち。友人を愛する気持ち。そしてもちろん先生を愛する気持ち。だから早すぎるってことはなくて、みんなを愛する気持ちを持つことが大切だと思います!』
まりも少年が博識ある回答をすると、50代女教師は、感動のあまり、涙ながらに、
『まりもくん、、、ありがとう。。。とても素晴らしい考えね。皆はまりもくんの意見どう思う?』
と問いました。
すると、クラス中が拍手喝采のスタンディングオベーションで私の考えに賛同し涙していました。
しかし、実のところ、私は『愛』について、何もわかっていなかった。
あれから25年、、、
私は未だに、『愛』について何も分からないまま、メイド喫茶で寂しさに震えていた。
とある日の横浜のメイド喫茶。
カウンターに私が鎮座して皆の衆と近隣のメイド喫茶の繋がり話について話していた時のことです。
その話を聞いた、カウンターのれんげさんが
『推しメンが結婚して悲しんだりする気持ち、私には分からない!』
と話してくれました。
私は何か、心の奥底の記憶が刺激されPTSD(心的外傷後ストレス障害)の発作が起きてしまい、
早口でどもりながらも、れんげさんに、
『そ、そそそそれは、ほはほ本当に人をす、すすすきになったことがないから、そんなにふうにおお思うんだよ!』
と酷いことを言ってしまいましたが、れんげさんは
『そうかも、私は自分を好きでいてくれる人が好きだから、』
と話してくれました。
ステキで真っ当な考えのれんげさんに、涙と鼻水を垂らしながら意見する、メイド喫茶に通うしか能が無い太ったキモンスターの私。
博識高い意見を述べていた10歳のまりも少年はもう見る影もありませんでした。
人を愛するってなんなんですか。
わからん、それはわからんよ。
でも理屈じゃ言えない何かがあるんです。
僕らの心に、、、
例えば、、、
メイド喫茶でステキなメイドさんに出会う、
お話したいなぁ〜と思う。
もっとお話したいなぁ〜と思う。
また会いたいなぁ〜と思う。
応援したいなぁ〜と思う。
ライブで推し色のペンライトを振らなきゃってなるんですよ。
ただそれだけなんだけど、それが全てなんです。
この気持ち届くなら君色に染まるよ。