カフェをこよなく愛する静かな男の駄文

カフェをこよなく愛する静かな男の駄文

早く人間になりたい

メイド喫茶四日目の夏

 

禁というか、禁止したわけでもなかったが、あまりに仕事が忙しくて、行けなかっただけなのだが、、、

 

そして、今日も夜勤なので行けない。

 

明日の夜勤明けで、私がメイド喫茶に行かなければ、このまま卒業も、、、なんて

 

しかし、4日間もメイド喫茶に行かなったことで、新たな気づきを得た。

 

あまりにも日常になり過ぎていたため、忘れていたが、メイド喫茶とは、非現実を味わいに行く非現実的空間であった。

 

扉を開けた瞬間、そこは異世界であり、私は異世界転生おじさんであった。

 

なろう小説の様な特殊能力はないが、メイドさんと会話をして人間として生きることができた。

 

そんな非現実空間を切り離した私に残されたのは、圧倒的現実であった。

 

圧倒的現実では、私は人間ですらなく、負のオーラを纏う、言葉を発する汚れた肉塊でしかなかい。

 

仕事以外で言葉を発することはなく、恋人はおろか、家族や友人もいない。

 

昨日も、私は職場の時計を見ながら、残業していた。

 

『21時10分の電車に乗れば、メイド喫茶のLOに間に合う、、、早く人間になりたいよ、、、』

 

しかし、踏切に駅ホームまでの血路を阻まれ、無情にも〔人間行き〕の電車は、私の眼前を走り去っていく。

 

私は今にも消えいくような声で、[人間っていいな♪]を無意識に口ずさんでいた。

 

メイド喫茶の閉店で[人間っていいな♪]が流れるのは、メイド喫茶で人間になろうとした我々に対するアンチテーゼであり、人間でいられる時間の終わりが来たことを告げるためなのかもしれない。

100万回生きたデブ

ツイッターを見てたら、絵本『100万回生きたねこ』が流れてきたので『愛』について考えてみました。

 

【絵本のあらすじ】

100万回生きたねこ」は、100万回死んで100万回生きた猫が主人公の物語です。主人公の猫は様々な飼い主に飼われましたが、満足することなく、また別の人生を繰り返します。最後は、美しい白い猫と出会い、初めて愛情を覚え、その死を悲しみ、初めて泣き、生き返るのを止めます。

 

という有名な絵本なのですが、これって、メイド喫茶おじさんに対するメタファー(比喩)なのではないかと思ったのです。

 

メイド喫茶おじさんも、推しメイドさんの卒業で死んだ後、再び新たな推しメイドさんを見つけて蘇りますから。

 

それにメイド喫茶おじさんって、最初ムスッとしてるけど仲良くなると、やたら懐いてしつこいとことか猫っぽいなと思うのです。

 

何度も生き返ってしまう僕達は、まだ愛をしれてないのです、、、

 

そんな私が、初めて『愛』について考えたのは小5の時でした。

 

当時、まだ齢10歳であった、まりも少年は、

 

『人を愛するとは』

 

という事について、みんなで討論する【道徳】の授業を受けておりました。

 

担任の50代の女性教師が『人を愛すること』について、皆に意見を求めると、最初に真面目系の女子生徒が手を挙げ意見を述べました。

 

『私達は、小学生だから人を愛したり恋人を作ったりするのをまだ早いと思います!』

 

それに対して女教師が

 

『じゃあこの意見に賛成とか反対がある人は?』

 

と問うと、皆が

 

『そう思うー!』

 

と声をそろえました。

 

だが、まりも少年は思ったのです。

この意見は間違ってはいないが正解ではないと、、、

 

そもそも道徳の授業に正解など、無いのであるが、この場合の正解は50代女教師好みの解答を用意することだろう。

 

まりも少年はそう考えました。

 

そしてクラス中が『小学生に愛はまだ早い』というしょうもない考えで、まとまろうとしてる中、私は右手をスッと高く真っ直ぐあげ、意見を述べました。

 

『たしかに小学生が恋人を作るのはまだ早い。それはそうだと思いますが、ここで言う愛というのは、何も恋人に対するものだけではないと思います。それは、自分の親兄弟、家族を愛する気持ち。友人を愛する気持ち。そしてもちろん先生を愛する気持ち。だから早すぎるってことはなくて、みんなを愛する気持ちを持つことが大切だと思います!』

 

まりも少年が博識ある回答をすると、50代女教師は、感動のあまり、涙ながらに、

 

『まりもくん、、、ありがとう。。。とても素晴らしい考えね。皆はまりもくんの意見どう思う?』

 

と問いました。

 

すると、クラス中が拍手喝采スタンディングオベーションで私の考えに賛同し涙していました。

 

しかし、実のところ、私は『愛』について、何もわかっていなかった。

 

あれから25年、、、

 

私は未だに、『愛』について何も分からないまま、メイド喫茶で寂しさに震えていた。

 

とある日の横浜のメイド喫茶

 

カウンターに私が鎮座して皆の衆と近隣のメイド喫茶の繋がり話について話していた時のことです。

 

その話を聞いた、カウンターのれんげさんが

 

『推しメンが結婚して悲しんだりする気持ち、私には分からない!』

 

と話してくれました。

 

私は何か、心の奥底の記憶が刺激されPTSD(心的外傷後ストレス障害)の発作が起きてしまい、

 

早口でどもりながらも、れんげさんに、

 

『そ、そそそそれは、ほはほ本当に人をす、すすすきになったことがないから、そんなにふうにおお思うんだよ!』

 

と酷いことを言ってしまいましたが、れんげさんは

 

『そうかも、私は自分を好きでいてくれる人が好きだから、』

 

と話してくれました。

 

ステキで真っ当な考えのれんげさんに、涙と鼻水を垂らしながら意見する、メイド喫茶に通うしか能が無い太ったキモンスターの私。

 

博識高い意見を述べていた10歳のまりも少年はもう見る影もありませんでした。

 

人を愛するってなんなんですか。

 

わからん、それはわからんよ。

 

でも理屈じゃ言えない何かがあるんです。

僕らの心に、、、

 

例えば、、、

 

メイド喫茶でステキなメイドさんに出会う、

 

お話したいなぁ〜と思う。

 

もっとお話したいなぁ〜と思う。

 

また会いたいなぁ〜と思う。

 

応援したいなぁ〜と思う。

 

ライブで推し色のペンライトを振らなきゃってなるんですよ。

 

ただそれだけなんだけど、それが全てなんです。

 

 

 

この気持ち届くなら君色に染まるよ。

デブ身低身長低学歴低収入男性の憂鬱

昨日は朝起きて、冷凍の唐揚げと冷凍のご飯を温めた。

 

ご飯をどんぶりによそい、唐揚げを乗せ、チリソースとマヨネーズで味付けしたら、どこぞのメイド喫茶の唐揚げ丼になったので、メイドさんのXを巡回しながら、一気に腹にいれた。

 

食べ終わると再び眠気に襲われたので、ヨギボーに身体を沈めた。

 

次に起きると、昼前の午前11時だった。

 

ダイエットするため、ジムの契約をしようかと、インターネッツを見たが、太った男がジムに契約に来たら、裏でスタッフにバカにされるんじゃないかと考え、痩せたら契約しようと思った。

 

ヨギボーに体を沈めながら、今日は何もしないをする日にしようと思った。

 

天井を見つめた。

 

身体が重い、身体を動かしたくない。

 

寝返りさえも面倒に感じた。

 

何なんだろうか、この人生は、、、

 

息をするのも面倒だ。

 

意識して呼吸を止めてみた。

 

苦しいからすぐやめた。

 

何もかもが憂鬱だ。

 

3時間ほどぼーっとした。

 

ふとXを見ると、メイド喫茶の宣伝が上がっていた。

 

レイラ、みれ、れお、うい

 

私は、先ほどまでの怠惰が嘘のように、ハンドスプリングの要領で身体を跳ね上げ立ち上がると、シャワーを浴び、髭と眉毛を剃り、乾燥を防ぐメンズ乳液を顔にペシペシと叩き込んだ。

 

私は鏡を見て、何も良くないが、ヨシッ!と良い、家を出て、レンタルチャリを爆速で漕ぎかのメイド喫茶へ向かったのだ。

 

入店すると、メイドさん達が、『わー、まりもしゃんだー』と言いいながらピクミンの様にトコトコと近づいてきてくれた。

 

生きてていいんだ。

 

そう感じた。

 

いつもありがとう。

 

愛ゆえに人は苦しまねばならぬ、なれどメイド喫茶通い辞められず候

『愛ゆえに人は苦しまねばならぬ、なれどメイド喫茶通い辞められず候』

 

まずもって、

 

メイド喫茶に「愛」を求めるんじゃないよ

 

と君は言うだろう。

 

それはそう。

 

その考え、正しいが、正しくない!

 

いや、しかし、だがしかし、それを言っちゃおしまいよ。ってことのなのよ。

 

キャバレークラブしかり、ガールズバーしかり、コンセプトカッフェしかり、なんならその辺のコーヒーショップであっても、

 

おじさん達は、「愛」を求めている。

 

コンセプトカッフェにコンセプトを求めてる「アホ」は一人もいないのだ。

 

そして、おじさんの愛は深い。

 

君の元彼、今彼、僕はよく知らんけど。

 

おじさんの方が愛情深いだろう。

 

だってそうだろ。

 

本名も知らない君のこと毎日こんなに考えてしまうんだ。

 

(※ここまでで、恐怖を感じたメイド初心者はブラウザバックお願いします。)

 

元彼今彼の方が愛情深いと思ったのなら、今すぐに、彼らのInstaのDM欄を見てくれ。

 

きっと他の女にダイレクティングメールを送っているだろう。若い男なんてそんなもんなのだよ。

 

因みにおじさんのInstaは、プライバシーの兼ね合いから見せることができないが、清廉潔白であるとだけ伝えておこう。

 

前置きが長くなったが、メイド喫茶に愛を求めているなら、メイドさんに対しても愛情深く接してあげなければならない。

 

最近仕事に、追われていた私はそんなことも分からなくなってしまっていた。

 

先日、横浜のメイド喫茶に行ったところ新人のこ○くさんに

 

『2日連続で会えて嬉しいです。』

 

と言われたのだが、

 

私は、それに対して

 

『こんな気持ち悪いおじさんに2日連続で会えて嬉しいわけ無いやろ』

 

と酷いことを言ってしまい、周りのヲタクから猛批判を受けた。

 

私はすぐに自身の誤りに気づき、かの新人メイドさんに謝罪をするに至ったのだ。

 

それ以来、自身に自己暗示をかけるように、

 

『メイドに優しくする』『メイドに優しくする』『メイドに優しくする』『メイドに優しくする』『メイドに優しくする』、、、

 

と10回唱えてから入店をするようにしている。

 

もし、私が優しくできていたのなら、愛情で返してほしい。

 

以上です。

ワイはもう、メイド喫茶は卒業したんや、、、

『ちょっと何言っているかわからないねー』

 

と、さくらさんに言われた。

 

なんだか、この言葉を言われることが増えた気がする。

 

自分でも気づかぬうちに私は変なことを言っているのかもしれない。

 

改めていうと、

 

《私はメイド喫茶を卒業した》

 

一番大きな理由は、ディアカフェの推しメン(さきちゃん)が卒業してしまったからだ。

 

私は、さきちゃんに

 

さきちゃん卒業したら、もうメイド喫茶いかないと思う』

 

と話した。

 

さきちゃんは

『えーっ、絶対行くでしょー』

と言っていたが、私は、貫きたかった、この想いを。

 

メイドさんからしたら、自分のオタクが卒業後も、のうのうとメイド喫茶に通い続けるより、そこからきっぱり辞めたほうがいいと思ったのだ。

 

しかし、、、

 

正直、さきちゃん卒業後も何度かハニーハニーに行った。

 

・友人の付き添い。

・昼メシを食べに

・居酒屋として

・オフ会後になんとなく

メイドさんと少し話したくて

 

等、いずれもメイド喫茶ではなく、【飲食店】としての利用で済ませるようにした。

 

そして、私は、常にメイド喫茶で自問自答していた。

 

このまま、メイド喫茶に行かないを貫くことで、さきちゃんへの何か示しになるのだろうか。

 

ただの自己満足なのではないかと。

 

LOVE、それは憂鬱

私がこのブログを書いているということは、、、

 

そうです。

 

皆様との別れの時が来たのです。

 

また、どうせいつもの辞める辞める詐欺でしょ。

と君は思うかもしれない。

 

結論から言うといつものそれなわけなんだが、まぁ、まずは聞いてくれ。

 

どうしてそのような思考に至ったか。

 

まず一つとして、メイド喫茶に満足しきったというところがある。

 

特に、この1年間は本当に楽しかった。

 

ほぼ、毎日メイド喫茶に行っていた気がする。

 

去年の6月頃の土日は特に酷くて、多い日は一日で6店舗くらいメイド喫茶に行った。

 

横ハニ→秋ハニ→あっと→メイドメイド→アルコ→ディア

 

と言った感じで周遊した。

 

頭がオカシイと思った。自分の行いに恐怖を感じた。

 

人の優しさに飢えていたのだと思う。

 

夏以降は、横浜のメイド喫茶、主にディアカフェとハニハニにしかほぼ行っていない。

 

特にハニハニの居心地の良さは異常というか、もはや家より帰っていた。

 

まず店内に入ると、円卓に誰かしら知り合いが座っているので、そこに合流し、その後、その知り合いが帰ってもまた誰かしら来るので、まるでシェアハウスの共有スペースのよう空間が生まれていた。

 

しかし、そこで酒のんで、なんならその前も酒のんで、ハニ終わりでまた、もんじゃ食べながら酒のんで、僕の生活は堕落していった。

 

生活は堕落したが楽しかった。

 

この1年間は働いてくださってるメイドさん全員が好きだった。

 

特定のメイドさん固執し過ぎないないことで、いつでも楽しかった。素晴らしいことだ。

 

つまりは、酒と女に溺れていたのだ。

 

自己啓発に生きなければと思った。

 

2つ目は、全メイドが好きだが、この好きという気持ちは、LOVEというよりLIKEに近い感覚だった。

 

この1年間は本当に幸せだった。

 

博愛の精神というか皆に優しくできた。

 

それまでの僕は最低なゴミクズであった。

 

推しメイドさんの、

 

・リプライの文字数やハートの数を数えて、他のオタクと比較したり。

・他のオタクのお見送りの時間をストップウォッチで測り長すぎないか確認したり。

・毎日、何かしらつぶやきイイネをもらわなければと考えてみたり。

・話に来てくれたメイドさんに『あぶなかったね、後1分、来るのが遅かったら帰ってたよ』と言ってみたり。

・新人メイドさん、初めてメイドというバイトをやり、希望と楽しみを、抱いている新人メイドさんに冷たかった。(この点は本当に反省している。)

 

そんな感じの人間のゴミであったのだ。

 

そんな邪悪から解放され、皆に優しくできた。

 

人間の心は人を写す鏡であると感じた、メイドさんに優しくすれば、相手も優しくしてくれる。お互いに笑顔で幸せ空間が広がるのだ。

 

だが、通い続けけていると、好きなメイドさんへの想いが大きくなってしまい、カウンターに座れなかったことで落ち込んだり、楽しく話しているオタクに大嫉妬を抱いたり、繋がりを激しく否定したりと、何か以前の僕に戻ってしまいそうになるんだ。

 

つまりは君への想いがLIKEからLOVEになろうとしている。

 

そうなる前に、ここを去らねばならないと感じた。

 

LOVE、それは憂鬱なんだ、、、

貸し切り営業について

今日は、池袋の貸切にお呼ばれしたので行って参りました。

 

総じてとても良い貸切でした。

 

お題目としては、

 

ちぃちゃん卒業おめでとう的な感じらしい。

 

私自身はちぃちゃん数えるほどしか会ったことないけど、それでも彼女の魅力はよく知っています。

 

人としてての魅力に溢れてると言いますか、惹かれるものが多い女性です。

 

メイドさんを主役にした貸切、ちょいちょいありますが、どれもよかった。

 

まりあちゃんBD貸切も良かったし、はなちゃんBD貸切もよかったらしい。

 

私の思い出としては、半熟がゆめかBD貸切やって、ゆめか出勤しなかったのが爆笑だったが、ゆめからしいと言えばゆめからしい。

 

今回の貸切の主催者は、Discさんとシュウ君のお二人でした。

 

何故か、二人ともスーツ姿で仕事ができるサラリーマンといった雰囲気でした。

 

二人ともイケメンなのに、ちぃちゃんと繋がってないんだろうか、いやでも、片方と繋がってしまったら片方を裏切る形になってしまうし、

 

いやそもそもちぃちゃんっていくつ、卒業なら22歳くらいか、いくらイケメンでも年が離れすぎだからなのか、、

 

なんて考えていたら、ちぃちゃんがカウンターからレスをくれた。なんというか人気な理由が分かる気がする。

 

周りが見えている子だなと感じた。

 

貸切の流れとしては、

 

歓談→ビンゴ大会→Discさん、しゅう君からちぃちゃんに対してお言葉→記念撮影→アルバム贈呈であった。

 

アルバム作るのも大変だからな。

 

ふと、か○んちゃんに渡したアルバムを想い出した。

 

か○んへのアルバムはken君と仲良く作ったな。

 

ken君とは推し被りだけど仲良くできた。

 

ken君がもしか○んと繋がってたら仲良くできなかったと思う。

 

幸いにもken君はか○んとは、繋がっていなかった。

 

話変わるけど、某ご主人をブロックした。

 

机に れん と謎の落書きしてるのが、流れてきて嫌な気持ちになったからだ。

 

僕は器が小さいのかも知れない。

 

とにかく今は、今好きな子とどうしたら仲良くなれるかしか考えたくないのだ。

 

デイツがしたいそれだけなのだ!

 

またまた話し変わるけど、どこかの店舗のご主人様が、就職相談会をやるとツイートしてた。

 

メイドを対象にしているとしたら名案過ぎて爆笑。

 

わしもやろうかな。

 

まともに就職活動したことないから教えられること何もないけど、それに、デイツしたいメイドは、ディアカフェというメイド喫茶さきちゃんという子なのだが、もう就職が決まっている。

 

いやでもデイツしたいも違うかも。

 

それに、さきちゃんはもう卒業(仮)してしまうのだ。

 

なんというかデイツしたいけどそういうんじゃなくて、今日の、ちぃちゃん見て思ったけど、好きなメイドさんには笑顔でいてほしいのよね。

 

数年後にメイド喫茶で働いてたときに、たくさん応援してくれてる人がいて嬉しかったなと、思い出してくれたらそれでいいんだ。

 

そういうことにして、自分を納得させるんだ。